京都に転勤して来て住み始めて1年がたちました。
感想です。
私がいる所は長岡京市付近にある向日市という所なんですが、
西日本で1番小さく、全国でも3番目に小さい市には、竹のみちや長岡京跡など、豊かな自然や歴史名所などの見どころが
詰まった所です。
長岡京も向日市も山に囲まれているので子供達の遊び場が、結構あります。
山が近いので虫も採れます。うちの息子達は勿論大喜びです。
長岡京市には西山公園、西代里山公園があり水遊びが楽しめます。
筍の名産地でもあるので、朝採れの鮮度抜群な筍が採れます。
神社仏閣は京都市内に負けない素晴らしい建物があり、近くにある事で参拝に行きやすいので凄く幸せです。
心を落ち着かせたい時なんかに行きます。
神社仏閣と山のコラボは半端なく、日本人に生まれて来て良かったと思うくらい絵になり、心に沁みるんです。
その時ばかりは静かな人になれます。
ただ、
坂が多い!急な坂と緩やかな坂のミックスです。
日本にいたら坂は通らずにはいられないとは思うんですが・・・
幼稚園の送迎、スーパー、買い物、目的地がどこであれここは坂を通ります。
この1年で前ももの筋肉が付いたような気がします。
緩やかな坂も結構きついものです・・・
信号がない細い道も多くて、普段自転車を使うんですが車とぶつからないかといつもヒヤヒヤしてます。
でも所々に石畳のところがあったり、◯○街道と書いてある石板があったりして歴史を感じさせてくれます。
それにしても坂が多い・・・
子供がいると尚感じます。
こんなところに本当に都があったのだろうか。。。。
疑問に感じて、少し調べました。
桓武天皇が奈良の都、平城京を長岡京へ移したのが784年です。その10年間日本の首都として政治や経済、文化の中心地となったそうです。
なぜ、長岡京に都が選ばれたのか、
それは、他の土地からの物資の流通に便利な地形だったから。桂川や小畑川などの輸送路となる川があったから。
陸路には「山陽道、山陰道」という大きな道があったから都に適していた。
なら、どうして長岡京は10年しか続かなかったのか、
当時の天皇の周りで病気など災いが沢山起きて、不吉な場所だから都を移したと言われている。
他にも川の氾濫で洪水災害が相次いだからという説もある。
なるほど、
私は地形のことは全くわからないですし、日本全国住んでるわけでもなく、それに加え歴史も詳しくない・・・
昔と今とでは地形も変わっているだろうし・・・
長岡京の構造もメインストリートである朱雀大路が中心軸で現代の皇居や役所にあたる宮殿の外周には基板の目状に区画された広大な京域が広がっていたそうです。
でも今は基盤な感じでは無いような・・・
これ以上は、よく知りもしない私が言ったら怒られそうです。
坂が多くて急なところなのにな。。。と思っただけでした・・・
長岡京だけではないのかもしれないですが、マンションを建てたりする前に、結構長い事、発掘調査をしているのを見かけます。
長岡京の跡地からは、それだけ当時の生活を教えてくれるものが沢山出土しているんだと感じます。
木簡や墨書土器は当時をしとても貴重な資料になるそうです。
長岡と記された古い土器で「長岡」の地名がこの時期にまでさかのぼることがわかります。
木蘭は当時の人々の生活をありありと再現してくれるそうです。
当時の人々は、木を巧みに加工し、くしや皿、椀のような小物塁から、井戸、宮殿の柱などの大きなものまで作っていたといいます。
まだまだ沢山でて来そうです。
歴史は奥が深いですね・・・
今は坂が辛い・・・
です。
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